皆様初めまして。
この度、こちらの稽古場日誌の栄えある一番手を務めさせていただく事になりました、森正太郎と申します。よろしくお願いいたします。
また今回の舞台を始めといたしまして、劇団員として、劇団40CARATの末席に加えて頂く事になりました。併せてよろしくお願いいたします。
お願いばかりでゴメンなさーい!
さて、とは言いましたものの、森正太郎? すわ何者ぞ、とお思いの方がほとんどと思われますので、自分の話をさせていただきますと、地元は九州の宮崎県であります。
今月の29日をもって25歳になる訳ですが、18で高校を卒業してすぐ、こちらの専門学校に通うため、幼なじみと一緒に上京して参りました。科目は「お笑い芸人養成コース」。
漫才師の勉強をしに来たわけであります。
そこのシステムが半年一期、19歳も間際の18の秋に卒業しまして、連れ合いの幼なじみと一緒に、今なにかと話題の「サンミュージック」と言う芸能事務所に預かり芸人と言う形で厄介になることになりましたが、泣かず飛ばずで早や6年。去年の11月にコンビ解散・事務所離脱と言うことになりまして、その後半年余り、24にして自分を探しという放蕩生活をしていた訳ですが
放蕩と行ってもあくまで精神面での話で、一応食い扶持をつなぐ仕事はしていたわけでありまして、その同じ職場に、お馴染み40CARATの看板役者、そう、鹿又のとっつぁんがおられた訳です。
僕が事務所を辞めてフラフラしているのを察された鹿又のとっつぁんは、ぼんやり会社から帰宅しようとしている僕にぼんやりと近付き、「正太郎、芝居やってみない?」と言うニュアンスの事をぼんやりと僕に告げ、それとなく劇団のワークショップに誘ってくれたのでした。
それをぼんやりと聞いてた僕は、もんやりとした頭でうっすらと思案し、他にやることもないしやってみっかなぁ、みたいな的なそんな風味な事をおぼろげながら結論として、「あ、いっすよ?」とはっきり申し上げたのです。
そうして連れてこられた神奈川県の稽古場で、劇団の皆様に混じってやった柔軟運動や発声練習が、思いの外楽しく、「思いの外楽しいなぁ」と思っているうちにあっという間に時間が過ぎ、「あー思いの外楽しかった」と言う気持ちに満たされ、いざJRに乗って帰らんとしていると、なにやらお疲れ様的な頑張りましょう的な、まぁとにかくなんでもいいから飲酒するぞ的な宴の用意があるとのこと。
森くんはどうする?と聞かれて僕は、疲れてくたくたの頭でもんわりと「酒を飲みたいのはやまやまだけどねほら僕って案外人見知りだしそうじゃなくても僕みたいな放蕩者が飛び入りで参加して変な感じにならんだろうかそれはそれで申し訳ないなぁしでも腹減ったし酒代ららさんが出してくれるっつぅし率先して買い出しに行けば恐縮しなくてもいいかならいいか」的な事を考えて「あ、いっすよ?」と答えたのでした。
即答というやつでした。
そしてその宴の席で、ご存知40CARAT主宰、花山のららっつぁんに、あんた劇団員やってみない?とはっきりと言われ、このとき初めて僕の頭からぼんやりとした感が抜け、初めてはっきりとした声で「あ、いっすよ?」と言うことができたのです。
長くなりましたがこんな感じで今僕はここにいます。
さて、そんなこんなで本稽古が始まりました!
初めて全員顔を合わせることになった今回の稽古でしたが、残念ながら時間の都合で報告は控えさせていただきたく…
…あ、はい。じゃあかいつまんで申し上げます。
あまともさんこと天海朋さんが事故ってギプスに松葉杖でびっくりし、花山のららっつぁんことららさんが髪を切ってボブになっておられ、僕はそのどちらも言われるまで気付かず散々になじられ、稽古後はまたもや宴で、梅だれがうまかったなぁ、無茶ぶりの一発ギャグが順調にすべり、それを境に口数が死に、タバコの火を借りに行った先で僕の中のツインタワー、すずまきさんと長倉さんにご鞭撻を頂き、また口数が死に、ここでの経験は僕の一生の糧になるんだろうなぁとまたぼんやりと思いながらJRで仕事に行きました。
以上!!
次は玉腰くん、よろしくどうぞ!
※ 森正太郎/9月29日